私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

以前、『ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く!』の出版記念講演会(http://www.bunshun.co.jp/umeda_web/umeda_lecture01.htm)のサイン時に、梅田さんに「梅田さんの言うウェブを使った学習は、エンジニアの自分からすると違和感があるので、学習ということについて書いてほしい」というような意味のことを言ったのですが、本書がその回答になったかというわけではなかったですね。サイン会では一言話すのが精一杯なので、そのとき何を言いたかったのかと言うと『ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代』あたりで言われているような、「知識自体は検索すればよいから、それらを総合的に組み合わせたりして見出す」こととITエンジニアがコマンドのオプションやAPIを覚え込んだり、デザインパターンのようなものを「体得していく」学習とが自分の中でコンフリクトしている感覚があるということです。もちろん、知識が軽視されるというわけではないのですが、ギャップがありすぎるんですよね。知識を体得しなければならないエンジニアとその人たちを使う文型管理職という構図を感じてしまうのですよね。とまぁ、、本書と関係ないことを書いたところで、気になったことをメモします。

「自分が組織から与えられるもの」と「自分が組織に対して与えていもの」の天秤が傾いたときに辞める、というのが僕のロジックなんです。

というのは、僕が新人のとき、「給料に見合った働きができていない」とあがいていたことに重なります。

僕がいつも言うのは、「五十人にあたれ」ということなのです。受け止めてもらえるのは五十人あたって一人だ、と。

というのは自分が正しいと思うことをしようとしている人は肝に銘じておくべきですね。僕は五十人にもあたることができませんでした(能力や忍耐というよりは年齢や期限の問題で)。本書で何度か出てくる、梅田さんの諦念に近いものがあります。

僕が「好きを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争環境の中で、自分の指向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。

というのは、世界のフラット化がITの需要拡大を上回ったとき、中小にSIerが大変なことになってしまうのではないか、それまでに個人として淘汰されないスキルを身に着けられるかという僕の感覚とリンクします。

暗黙知を共有しているときに幸福感が味わえる。チームとして機能するようになると、その活動自体が義務的ではなくなる。

ああ、僕がやりたかったチームでの仕事ってそういうことだったんだと思いました。

本書自体は強烈なメッセージがあって読者を引っ張るというより、「まったく同じもの」と戦っているという二人を対比させて議論が進むせいか、読み違えしがいのある書籍でした(笑)。

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

2008/06/06着手
2008/06/06読了