「なにかをかえるために費やす労力より、かえたことで得られる利益が上回ることは、ほとんどない。」という話とナッシュ均衡

昨日、『大震災の後で人生について語るということ』でナッシュ均衡について簡単な説明を改めて読んだのだが、これが id:wayaguchi さんの「勉強会やセミナーについて、「会社が経費と認めるのは何か?」について考えたこと。」というエントリと頭の中で繋がった気がした(たぶん錯覚)ので書いておく。
大震災の後で人生について語るということ』の元になった原稿がブログにアップされているので、引用する。

たとえば自動車が登場したばかりの社会を考えてみよう。みんなが好き勝手な走り方をすれば、あちこちで正面衝突が起きてしまう。そこでまず、右側通行か左側通行かを決めなくてはならない。

このときもっとも合理的な行動は、右側通行の車がなんとなく多ければ自分も右側を走ることだ(逆に左側通行が多ければ左側を走ればいい)。自分だけが反対側の車線を走るのはものすごく不利で、みんなと同じことをすれば自分にも相手にも得になる。賛同者が多くなればなるほど有利になるという効果を補完性(フィードバック効果)というけれど、それによって右側(左側)を走る車が雪だるま式に増えていって、やがて交通ルール(均衡解)になる(もちろんこれは一種の思考実験で、実際の交通規則がこのように決められたわけではない)。

この単純なケースでは、初期値において右側を走る車と左側を走る車の数がわずかに違うだけで、右側通行と左側通行というふたつの異なる均衡解が生じた。いったんナッシュ均衡が成立すれば、全員がそれに従うようになるから、前提となる条件が変わらないかぎり制度は半永久的に安定する。

アメリカはなぜ銃社会なのか? – 橘玲 公式BLOG

このようにナッシュ均衡には、現状維持の強力なちからが働いている。アメリカ社会で頻発する銃乱射事件は、いったん均衡が成立してしまえば(ルールが決まってしまえば)、それがどれほど愚かしくても、変えるのがきわめて困難なことを教えている。

アメリカはなぜ銃社会なのか? – 橘玲 公式BLOG

一緒に掲載されている図が化学のポテンシャルエネルギー図によく似ている。
群馬高専物質工学科のページの図と共に引用する。



(ピンク字は元の図に書き込んだ。)

ここで重要なのは、一度落ち着いた均衡状態を破るのに、いったん山の頂上に上げるまでのエネルギーが必要になる、ということ。

あるとき、こう考えるようになりました。
税法が、私たちの都合にあわせてくれることなんてない。
会社が、私たちの都合にあわせてくれることなんてない。
なにかをかえるために費やす労力より、かえたことで
得られる利益が上回ることは、ほとんどない。
だから、変えるために費やす労力は最小限にしなければ
自分がつぶれてしまうだけだ。結局何も変わらない。

勉強会やセミナーについて、「会社が経費と認めるのは何か?」について考えたこと。 - kawaguti’s diary

というわけで、SIerの旧態依然なお仕事内容が変わらないのも、あなたが会社を変えるのを歓迎されないのも、ナッシュ均衡に落ち着いているからではないのでしょうかねと、なにか妙に納得した次第。

「それに気づいたからって何ができるの?」と聞かれても僕には何も答えられないのでありますが。

何かを変えるエネルギーは外部から調達するしかないんじゃないでしょうかね?と思ったり。SI業界ならクラウドなりソーシャルゲーム業界の勢いなりとか。今回もオチはありません。

大震災の後で人生について語るということ

大震災の後で人生について語るということ