プログラマの「本懐」 ~アーキテクトという選択

オンリーワンになるためのエンジニアプロ論 (開発の現場セレクションSpecial)』でもインタビューされている山本啓二さんの書籍です。副題中の「アーキテクト」とは、

第1章では、アーキテクトの訳語として「主任設計者」を当てて、本書でのアーキテクトとは、アプリケーションソフトウェアの設計を対象とする「アプリケーションアーキテクト」である、としました。一義的には主任設計書というのがふさわしいでしょうが、主任設計者を努められる技術を生かして、それだけに収まらない多くの仕事をこなすものです。(アプリケーション)アーキテクトとは、そうした働きすべてを包括するロールを指す言葉です。

という人を指すようです。これを読んだ直後に

この本での議論は、もはや社会にとって計算機による計算能力やそれによる計算可能性内での意志決定は常態化しているが、その社会的重要性を踏まえられていない情報技術者・研究者(アーキテクト)たちと、そこへリーチできていない社会学という今の日本社会の現実を踏まえて、計算不可能性をキーワードによりよいではないな、もう少しましな社会とそれを支える計算能力への道筋をつけようと努力している。

http://www.isisaka.com/blog/archives/2008/07/post_536.html

という別の書籍の書評エントリを見てしまうと、この本の目次にもあるように「アーキテクトなんてバズワード?」って思ってしまいます。本書のストーリー中に出てくる注意事項は実際の開発でも気をつけたいと思います。参考文献に人間系の書籍が多くあげられていたり、ファウラーの文章が複数引用されているなどアジャイル開発寄りです。本書で一番大事なことは、最終章のこの言葉に要約されているのでは、と感じました。

プログラマとして「もうちょっとがんばる」、ってどういうことでしょう?

プログラマの「本懐」 ~アーキテクトという選択

プログラマの「本懐」 ~アーキテクトという選択

2008/07/12着手
2008/07/13読了